太陽の日差しはあるものの・・・北風が吹いて10度を超えるものの/体感温度は寒いかも・・・の予報を 朝は北風が冷たく感じられましたが 昼前ぐらいから予想された以上に温度が上がったのか 北風の冷たさを感じませんでしたね・・・それでも風は強め
『関が原』の戦い・・・安土桃山時代/慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日) 美濃国不破郡関が原(現代の岐阜県不破郡関が原町)を主戦場として戦われた 毛利輝元を総大将に石田三成の西軍・・・毛利輝元が総大将でも/石田三成のほうが 総大将風に思えるのはおじさんだけ 方や 東軍は徳川家康を総大将に もともとは 東軍/西軍と言っても 豊臣秀吉の配下で 家康は秀吉に仇する者を成敗するという 大義名分を・・・結局のところ徳川家康の勝ち・・・と言うことになりまして ここを手始めに「徳川幕府」設立へ
『開戦地』・・・↓決戦の朝 霧が薄くなった8時頃 松平・井伊隊が動き 先鋒の福島隊の脇をすり抜けて発砲 これに怒った福島正則が 宇喜多隊に対して一斉射撃を仕掛けたのが ここの地だと言われています 西軍/津島義弘陣・小西行長陣の近くです
『決戦地』・・・↓小早川の寝返りにより東軍優勢となり 西軍の敗北が見え始めた 三成の首を狙う東軍諸隊が笹尾山を目がけて突進したことにより この地で激戦が繰り広げられたといわれています 勝てば官軍/負ければ賊軍・・・人の世の慣わしです
田んぼの中にポッント・・・後ろに見える山が・・・黒田長政・竹中重門の陣が有った 岡山(丸山)烽火場・・・今でも烽火が上がれば よく見えます『石田三成』陣があった 笹尾山の展望台から見た風景↓ 石田三成は眼下で繰り広げられている戦を見ながら どんな気持ちでいたのでしょう・・・迫り来る敵たちに対して 負け戦を臨んだのか/逆転を望みを持って戦に・・・今となっては 遠い幻です
『夏草や 兵どもが 夢の跡・・・なつくさや つわものどもが ゆめのあと』・・・と松尾芭蕉が「奥の細道」で平泉で読んでいますが 現代の俳人達は ここでなんて読むのでしょう そんな事を思った・・・急ぎ足で通り過ぎた関が原の旅・・・お後がよろしいようで
とおきゆめ はせるこころや こせんじょう
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