昨日のブログで『竹中重門』が当時の関ヶ原を領地していた書きました 確かに『岡山(丸山)烽火場』から『竹中重門』の本来の拠点である陣屋までは近いんです
『竹中氏陣屋跡』-戦国時代の智略が飛び交う中で 豊臣秀吉の名軍師「竹中半兵衛重治」とその一族の活躍があった 拠点であった陣屋跡には白壁の正門 がっしりした石垣が残っています↑ ↓外堀跡・・・今は学校の一部になっています
『禅幢寺』-天正七年(1579)播州三本の陣において行年三六歳の若さで病没した半兵衛重治の菩提を弔うために その子重門がこの寺に菩提樹山から墓を移した↓
竹中半兵衛の墓↓竹中半兵衛重治の父重元の墓↓
竹中半兵衛重治と黒田官兵衛は名軍師とし有名ですが テレビでの知名度で「黒田官兵衛」が頭一つ 抜け出しているかな 「歴女」たちは どんな風にみているのでしょうか おじさんは・・・??? 「垂井町観光協会」製作/『垂井町観光ガイド』北部エリア編から抜粋させていただきました 徳川側の武士ばかりでは不公平かな・・・『関ヶ原の戦い』には相手側もいますから・・・次回は『石田三成』のココロダ・・・カナ??
ぶけやしき いまはこどもの こえのなか
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