2016年4月30日土曜日

卯月すぎ/さつき益々五月晴れ・・・m(._.);m

昨日の強風も収まり・・・穏やかな日差しとが降り捧ぐ 過ごしやすい暑い日になりました・・・昨日はか強風の為 山が綺麗に見えましたが 今日は黄砂か霞かと思われるくらいに ボーとした空ですね-青空は見えるものの 周囲の山が見えませんですわ この時期特有の空かもしれませんね 4月も今日で終了・・・明日からは5月 何時も思うこと・・・別段おじさんの生活の中では変わりなく 月が移行するだけ 5月ですからね・・・5月ですね ただいま連休の最前線・・・おじさん何処へも行かずに-仕事をするだけ 世間さんの連休が明けたら おじさんが連休を取ります
中仙道』-今須宿・・・「妙應寺」の参拝もおわり 「今須宿」を散策しましょうか 妙應寺」の参道を戻ると 正面に「本陣脇本陣」跡が 今は今須小学校の一部になっています 「脇本陣」は美濃十六宿の中で「今須宿」のみ二軒あり 小学校駐車場付近に有ったようです・・・今もその場所に行くと 有るのではと思わせる雰囲気が・・・
そのまま街道を西へ 「問屋場」跡が見えてきます・・・今須騒動で知られる問屋場 明治22年-今須の与八と職人達が一揆を起し 村役人宅を襲った 問屋場だったこの家には その時の傷痕が残っている 美濃十六宿で当時のまま現存し その偉容を残しているのは山崎家」のみです・・・中を見る事は出来ませんでした
街道を西へ 左手に「金比羅さん常夜灯」が見えてきます へいの中に
このまま西へ 国道21号線を横断して 「岐阜県」から「滋賀県」へ 国道21号線の手前に「車返しの坂」が 今は神社になっています
国道21号線を横断して 『中仙道』を歩き始めると・・・
 岐阜県』と『滋賀県』の境です 細い溝が二つの県を分けているのが 面白いですね 道標にも-美濃国近江国が このまま西へ向かうと『柏原宿』へ ↑↓
 溝を挟んで美濃近江の境に 当時この周辺には旅籠屋が多く 壁越しにいろいろな地方の話が出来たと言われ それが-「寝物語の里と呼ばれるように
中仙道』も「今須宿」が岐阜県の西端 ここを過ぎれば『滋賀県』へ 『中仙道』を西へ向かうか/東に向かうか・・・はたまた『美濃路』を東に向かうか 5月5月が吹く 先日の様な強風はカンベンね・・・明日から5月気分も変えて・・・ガンバンベ
      かぜやんで はなばなさくか さつきます

2016年4月29日金曜日

北の山では雪かいな/連休の初日では・・・m(._.);m

晴れて-日差しはあるものの・・・とにかく つめためで強い風か・・・今日は「美濃加茂」周辺を廻ってきましたが 何処にいても風は強めで おじさんが乗る「幌付き軽トラ」・・・普通に走っていても 風に煽られて-右に左に「タイヘンなんですから」-それでも 何とか走りきり・・・仕事は終了かな・・・世間さんでは 今日からGWに入ったところが多いのでは 仕事でアッチ/コッチ走っていても 行楽の車が・・・は・・・いいんですが 普段から車に乗ってない人が 休みだけ車の運転 馴れないのか 流れに乗れずにモタモタする場面をよく目にしました 本人は真剣に運転しているのですが ちょっと離れて見てるとギコチナク見えて・・・怖い場面が多々あります 休みの間は当分 そんな車にハラハラ・ドキドキしながら おじさんも仕事をしていきます
美濃路』を西に向かい「追分」に そこから『中仙道』-垂井宿へ 「垂井宿」を抜けると「天下分け目の合戦」で有名な「関ヶ原宿」を抜けて 西へ向かうと『岐阜県』の西のはずれ今須宿」へ 「今須宿」を過ぎると『滋賀県』・・・『今須宿』-美濃の国 西端にある今須宿妙應寺の山門町として賑わった 山里にある静かな町
 国道21号線沿い-トラックなどの休憩場所の付近に「一里塚」が建っています
 休憩所から出て 左に曲がると「これより中仙道今須宿」の道しるべが
門前橋」の袂に「常夜燈」を模した 外灯が・・・
今須宿」の生業の原点である妙應寺」の山門入口・・・国道21号線と東海道本線をくぐり 本堂に向かいます 何かふしぎなトンネルの入口です・・・妙應寺」をお参りし・・・「今須宿」を歩くことにしましよ と言う事で「今須宿」へは次回のココロダ
     しごとびは うおうさおうと かぜがふく

2016年4月28日木曜日

医者のはしごしました/だから今日は「はしご」記念日・・・m(^^):m

雨ですね・・・昨日からの曇り空が 今日は雨の天気に・・・昼からは雨も上がるような事を言ってましたが そんな気配なしで・・・雨が降り続いています こんな日は何処へも出かけずに 家の中でノンビリと・・・とは/出来ずに昼前は「市民病院」・昼からは近所の罹り付けの「お医者」さんへと 「医者」のはしごをしてきました 大きな病院は それなりに検査/検査で時間も掛かりますが いいですね 近所のお医者さんは「診察会計薬を貰う」の時間が 今日なんかは・・・30分以内で済みまして・・・何ヶ月に一度は 昼前/昼からと「お医者さんのハシゴ」をする・・・おじさんです
美濃路大垣宿垂井宿紀行も 一日ノンビリと休みましたから・・・足取りも軽く・・・先を急げそうです・・・「久徳一里塚」で休憩を取りまして 「一里塚」の北側に「瓊々杵神社」があります 難しい漢字が使われて 何かいわれがあるのでしょうか
 
久徳一里塚」から西へ西へと向かいます・・・おじさんは歩きではなく 車移動でしたが・・・「東海環状自動車道」を通り越し 大谷川の手前 人家の軒下の様な所にポッント置き忘れられた様な石が 良く見ると「谷汲」の文字が-「谷汲道の道標」・・・美濃路中仙道を経由して「谷汲山華厳寺」への参拝の道だったのかも知れません・・・杭瀬川の近くには「谷汲山常夜燈」があります 美濃路は参拝の道かも???
一見 何処にであるような石としか見えませんが-よく見ると「谷汲」の文字が
谷汲道の道標」を過ぎ大谷川を越えると・・・追分までは もう直ぐです・・・大垣市を過ぎ垂井町へ入っていくと 「松並木」が 路沿いにまばらになっていますが 当時は追分まで-松並木がつづいていたのでしょう その名残を見ることが出来ます
松並木」を過ぎ相川手前に「垂井追分道標」が 美濃路中仙道の分岐 ここで美濃路中山道になり 相川を渡れば「垂井宿」 「追分庵」と言う お休み処が 
タイルピアセンター歴史民俗資料館」の中庭に 「追分道標」のレプリカが
今の時期は 相川を挟んで「こいのりぼ」が雄大に泳いでいます
美濃路』は「垂井宿」で中山道に合流して・・・西へ おじさんは「大垣宿」から「墨俣宿」 そして長良川を越えて「羽島木曽川を渡り「愛知県一宮市起宿」へと まだまだ 『美濃路』は続きますが 何処までいけるやら・・・先は長いのココロダ
      みずにぬれ わかばはみどり あめつづく

2016年4月26日火曜日

半袖着ました/だから「半袖記念日」・・・m(^_^);m

今日は朝から・・・暑くしてあげるね・・・と言わんばかりの日差しが 確かに暑くなりましてね 25度に近い温度になったのでしょうか 本日は仕事が休みという事で(週1日は遊びの日してますが/特に火曜日は)お出かけしまして 家を出るときに「何を着ていけばいいの」と悩みますね 長袖のポロ/それとも/半袖のポロか・・・結局・半袖のポロの上にブルドンで 暑くなれば脱げばいいしね・・・11時ごろには半袖に ダラダラしてきました 車の中も暑い/エアコンを入れている車を見かけましたが そこまでは-と-思いますが 窓を全開にして入ってくる風が気持ちのいい日でした
美濃路』を巡る旅も・・・「大垣宿」を基点にして-「墨俣宿」へ 「墨俣宿」から「起宿」は木曽川を越えて「越境」かな と言う事で・・・今回は「大垣宿」から「垂井宿」へ 「垂井宿」・・・『中仙道』第57番目の宿場中仙道東海道を結ぶ美濃路の分岐点となる宿場でもあります 「大垣宿」は先日のブログで紹介しましたが・・・おさらいを・・・戸田氏10万石の城下町 美濃路宿場町で 桑名へと続く水門川を利用し 水運の拠点である船町港が 水・陸運ともに栄えた城下町です・・・「船町港跡住吉燈台」から「樽井宿」へ出発しましょう 桑名へ続くと言う事で-芭蕉もここから桑名
船町港跡住吉燈台」から西へと向かいます 31号線が「美濃路」と同じ経路みたいです 途中「杭瀬川」の手前を南に 昔は「杭瀬川」に湊があったみたいです
赤坂港桑名港との航行が盛んであった為に 往来する船の安全祈願と航路標識 そして 伊勢両宮への献橙として塩田港の西岸に建てられた 明治13(1880)年8月の事である 中継点ですから船頭も船も商売屋多く発展していたのでは 
静里町塩田常夜橙」の横には こんな道標も・・・ここから北に向かい31号線を横断して 堤防に沿って少し歩くと「谷汲山常夜燈」が見えてきます
谷汲山常夜燈」から西に向かう事 約5分程で「久徳一里塚」へ-左塚だけが現存し 塚の上のエノキは今も元気に・・・一里(約4km)ごとに 街道の両側に五間(約9m)4方の塚を その頂にエノキを植え旅人たちの目安に-大垣市指定史跡
 
ここから「垂井宿」までは まだまだ距離もありまして 何時もの事ですが 本日はここまで-歩き疲れまして足を休めるために 休憩かな それとも野宿ですかね・・・続きは次回の「大垣宿から垂井宿ダラダラ紀行」のココロダ とりあえずダラダラね
     あついよね だらだらだらと なつはきぬ

2016年4月25日月曜日

歩道橋あるけど/高き山なのよ・・・m(^^);m

キリットした晴れ間が見えませんでしたね・・・朝/昼過ぎから曇り空に・・・雨の心配はないのでいいんですが-曇り空だと雨をついつい心配してしまう-おじさんです
この頃・・・歩いてますか-「歩道橋」をつい最近渡った事は・・・『歩道橋の日』-1963年のこの日 大阪駅前に日本初の横断歩道橋が完成した
毎日 歩いてます・・・仕事で主な移動は車ですが 歩くことが多い仕事を-おじさんしてますから 横断歩道は車を置いて その場所まで行くとき 道を渡るときなどは横断歩道は使いますね(場所に寄って 横断歩道のないときは そのまま道を横切りますが)・・・と言って 横断歩道橋は そんなに大きな道を横断する事がないので この頃使う事はないですね・・・そう言えば 先月3月ですが 『中仙道加納宿』を回ったときに 『歩道橋』の上から加納の町を写真に収めましたが・・・高いところから見る風景は・・・いいですね おじさんもう若くないので 歩道橋の階段の昇り降りが 大変なんですよ・・・だから横断歩道の方が おじさん向きですわ・・・運動だと思ってもね
中仙道加納宿』・・・「中仙道」より南側に整備された大きな道が・・・その歩道橋から 東側と西側を撮った写真です・・・中仙道の面影はないですが
今は大きな道路が走ってますが 100年以上前は この道はどんな風に-そして何があったのでしょうね 田圃/杜・・・想像もつきませんが 今は「歩道橋」がある
     ときながれ むかしのおもい のこるまち