昨日の風も収まり 朝から日差しが・・・10時前くらいから暑くなり始め・・・思わず・・・Tシャツ一枚で仕事をしょうかなと思うほどでした・・・長袖のポロシャツで仕事をしましたが 車のエアコンを使うほど・・・まだ早いかな・・・と 窓を全開にして移動を・・・昼から穏やかな風か吹き始めて 少しは涼しくね・・・それにしても 暑い一日でした
『佐渡の渡し』で揖斐川を渡り 『墨俣宿』へ その前に・・・『墨俣宿』は木下藤吉郎が 一夜にして築城し 太閤出世物語の出発点となった岩城-慶長7(1602)年五街道の東海道と中山道を結ぶ脇街道 美濃路-鎌倉時代に鎌倉と京都を結ぶ街道として整備され 東西交通の重要な幹線 鎌倉街道・・・と古くから『墨俣』は歴史に顔を出しています それにもう一つ お寺か多いのですわ・・・その名も『寺町』として町名が今でも残ってます・・・と言う事で・・・まずは・・・『鎌倉街道』です
長良川沿いから『墨俣』へ入ると 道路に道しるべが『鎌倉街道』を今 歩いています・・・これより西に160m行くと『下野家枝垂れ櫻と蔵』『奥田家水屋』へ
同じ交差点から250m行くと『義円公園』へ 先にこの公園に行く事にしましょう
養和元年(1181)墨俣川をはさんで源平一大合戦が 「義円公園」にはその際に亡くなった「源義円」が祀られている「義円地蔵」「義円供養塔」-「源平墨俣川古戦場」の碑が 毎年3月11日命日に供養が執り行われる・・・先ほどの交差点まで戻り 西へと歩きます 途中 右手に神社見えてきます-『村社/不破神社』・・・宇治捨遺物語にある「大海人皇子を救った墨俣の女」は 上宿の村社・不破神社にお祀りしてある不破神明の化身であるといわれています・・・もう少し歩くと『下野家枝垂れ櫻と蔵』『奥田家水屋』の道標が 『下野家枝垂れ櫻と蔵』はやはり住んでいると言う事で 中には入れませんでしたから 門越しに『下野家枝垂れ櫻 を門から 蔵は見られませんでしたが 奥田家水屋は外から写真を 古の面影はなくても 凛とした街道でした
『下野家枝垂れ櫻と蔵』
『奥田家水屋』
かいどうは あるけばかなし かたりべか
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