朝の日差しは何処へ 今日は仕事が休みと言うことで 用事で出かけたのですがね 出かけるときは日差しが・・・眩しいほどでしたが・・・だんだんと雲行きが可笑しなことになり始め 日差しを/太陽を雲が覆い始めまして ついでにと言うと・・・風か出始めまして 風と言えば-ここ数日 風には泣かされましたからね 昨日は朝から「嵐」の様な天候に 昼から晴れ間が・・・と安心したのも つかの間 今日は腫れから⇒曇り空に+風も加勢をしています・・・マァ薄日が射すだけましですかね その為か 温度の上昇もなく 少し肌寒さを感じる日になりました 朝の日差しは何だったのでしょうね ハッキリしない一日になりました
『墨俣宿』の話題の多いこと・・・「街道」「寺町」だけで 2日間のブログが埋まりました・・・本題の『美濃時/墨俣宿』を歩くことにしましょう・・・『大垣宿』を出発して「佐渡の渡し」で揖斐川を渡り「安八」に入ります 堤防を下り 『美濃路』を東に歩きます 左手に『町屋観音堂』が見え始め・・・「縁結び」「安産」の観音様-十二面観世菩薩が奉られています-境内は公園になっています 噴水/ベンチと『美濃路』を歩くことに疲れたら・・・休んでいきますか
『町屋観音堂』の道は『鎌倉街道』『美濃路』そして「木下藤吉郎」『織田信長』達 天下人が通った道なのかも・・・この近くの『結神社」があります-「長篠の合戦」「越前の一揆宗」を撃つ前に 結神社に七日間の戦勝祈願をしたといわれています・・・神社が 古人が集い歩いた道・・・カモ 今は軽トラと散歩の人が歩く のどかな小道に
2.3分歩いていくと 左手に『米の宮之跡』と言う碑が-昔は「ヨネ」の宮と呼ばれいてた 倉稲魂神は五穀の神なれば「ヨネ」の宮といい後転じて「ヨメ」の宮」と言う 大東亜戦の為堤防の松並木と共にご神木も切られたため この碑を建てたらしいです・・・これも「今は昔」ですか
この堤防の道は 柵がされていて大型車などが通らないので 安心して歩けます
このまま「安八町」を東に進むと 「大垣市墨俣」に入ります 『墨俣』は『上石津』と同じく飛び地みたいです・・・以前は「安八郡」⇒「墨俣」だった記憶があります 「平成の大合併」の際に「大垣市」に併合したと記憶しています・・・記憶違いなら-ゴメンネ・・・そんな訳で飛び地になったのですかね(あくまで余談でした)・・・『美濃路』を東に歩いていくと 前方に『墨俣/一夜城』が見えてきます その手前 堤防を降りていくと 『史跡・美濃路』の道標が・・・ここから『墨俣宿』になります-古くから宿場として栄えていた・・・前書いた様に『鎌倉街道』などの主要な宿場 そして 秀吉が天下をめざし始めた「宿場」でもあります
このまま『墨俣宿』へ 道標から数分歩くと 町の中に↓道路に道標があります
本路を東に 右手に『美濃路/墨俣宿脇本陣』-濃尾震災の時に倒壊 門が「本正寺」の山門に 再建された建物が残るだけですが 当時の面影を残しています もう少し行くと 『美濃路/墨俣宿本陣』-今は石碑が残るだけですが・・・そのまま直進し・・・犀川橋を渡り 長良川へ『墨俣の渡し』で対岸の岐阜市内へ そして 「羽島市」へ まだまだ 『美濃路』の旅は 「羽島」を経由して 木曽川を渡り「一宮」に・・・まだまだ 先は遠い道のりです
今は『美濃路/墨俣宿本陣』跡の碑が残るのみ ↑当時の面影を色濃く再建された『美濃路/墨俣宿脇本陣』 今は商店としボランテァガイドの店として↑ 『脇本陣』の門が使われている「本正寺」の山門↓ 風景に溶け込んでいます
『美濃路/墨俣宿』は まだまだ 見所満載の場所かも・・・関が原合戦の地に続き・・・戦国地めぐりも・・・木下藤吉郎/織田信長/斉藤道三などなど・・・さてさて 何処に行きますか
はなびえか はなぐもりかも はながさく
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